新潮文庫 nex

YOMIMONO 読み物 小説、エッセイ、著者インタビュー、等々。新潮文庫nexが贈る特別コンテンツ。

書評の最近のブログ記事

 ある喫茶店で隣に座っていた、やたらと声が大きいカップルの会話をうっかり盗み聞き(というより、嫌でも耳に入ってくる音量だった)したときの話。彼氏の方が、床に置いてあった私の買い物袋を見て、彼女に「ごめんね、服とか全然買ってあげられなくて」と言った。彼女はなんてこともなく素直に「ううん、大丈夫だよ」と答え、その後、二人の他愛のない会話は続いた。二人が「ホームパーティー」のことを「ホムパ」と言っていたのが妙に気になるのは自分が歳取った証拠かな、と思案していたら、またあの引っかかる言い回しが聞こえてきた。お店を出る準備をしながら彼女に「家まで送ってあげる」と彼氏くん。席から立ち上がり、さらに「今日はいっぱい話聞いてあげられてよかったわ」と満足げに彼女に言う。シメには「今度水族館に連れてってあげる」。あげるあげるあげるあげる。もはや「妖怪〇〇してあげる」。善意の恩を着せ、良いことをした自分に浸る自意識の塊。結局のところ、細かい言葉使いを気にしてる私が一番、自意識過剰なんだろうけど。
「砕け散るところを見せてあげる」にも、タイトルから、「妖怪〇〇してあげる」がいる。作中でも、主人公の濱田清澄はときにその言い回しを口に出す。清澄は、女手一つで自分を育ててくれた母を早く楽にさせてあげたい(出たっ!)ため、地元の国立大学の受験勉強に励む高校三年生。彼は同じ学校の後輩、蔵本玻璃へのいじめを目撃し、彼女のことがほっとけなくなる。玻璃をいじめから救うヒーローになると誓った清澄は受験勉強の時間を割いてまで、玻璃を守っていく。
 二人の距離が近づくにつれ、「俺がいてやればよかったのに」など、「〇〇してあげる」と清澄は言う。でもその言葉の裏には、無力な玻璃を見下す自己満足ではなく、もろい自分への自己啓発があった。素直で単純そうな清澄は実は煩わしく、その真っ直ぐなのに捻くれた複雑な性格は物語を通して徐々に浮き彫りになっていく。そしてその真の複雑さを知るのは、物語が終わってから。憧れのヒーローになるために、清澄は自分にも、読者にも嘘をついていたのだ。となると、タイトルの「砕け散るところを見せてあげる」とは、一体誰の言葉なのか……。
 ヒロインの玻璃も複雑な性格の持ち主。竹宮作品ではお馴染みの暗い影の持ち主で、「とらドラ!」や「ゴールデンタイム」しかり、その影の正体を知れば知るほど、辛さが重く押しかけてくる。「とらドラ!」や「ゴールデンタイム」の華やかなヴィジュアルのヒロインたちと違って、玻璃は影をベールに包むことができず、闇の存在が剥き出し。現実世界では信じられないような闇だけど、最初からそういった暗い過去が垣間見えたせいか、読者として比較的受け入れやすい。さらに彼女の仕草や表情の描写には二次元で脳内再生しやすい軽快さがあって、内容の割には重苦しさがない。やっと出会えた玻璃の笑顔のインパクトも大きく、涙を堪えてうつむく最初の玻璃のイメージもすぐに上書きされる。そして玻璃と清澄のユーモア溢れる掛け合いもライトに味わえる。
 だからこそ、気が付かない内に、凄い場所に連れて行かれる。清澄のウィットに富んだツッコミを楽しんでいたと思いきや、不意打ちのように、青春物語は急変する。いつの間にか、想像を絶する展開に胸を突かれる。まるでひき逃げにあったよう。

「砕け散るところを見せてあげる」には、誰かのためになにかしてあげたい、というシンプルな欲求を必死に叶えようとする人たちがいる。清澄、クラスメートの田丸、尾崎姉妹……。できることの大小はあっても、想いは一緒かもしれない。何かしてあげたい。「誰かのために何かする」を超える、より距離の近い、「してあげたい」に込められた想い。人から人に、繋がっていく思い。
 人のためになにかしてあげたい気持ち。冒頭のカップルとは違う、切実な気持ち。妖怪なんて呼んで、ごめんなさい。

(いちかわ・さや モデル)
竹宮ゆゆこ『砕け散るところを見せてあげる

 小説を読んでいると、心に刺さる言葉に出会うことがある。たとえば、こんな一文だ。

 ケーキを買うお金を持っていない子供だけが本当のケーキの価値を知っている。

 文庫本の端を折って、忘れないように、またいつでも読み返せるように、大事にとっておきたくなる、言葉。河野裕さんの小説には、そんな魅力的な言葉が溢れている。
 本作は『いなくなれ、群青』『その白さえ噓だとしても』に続く、階段島シリーズの第三作だ。物語は、階段島という、少し奇妙な島を舞台に展開される。階段島は七平方キロメートル程度の小さな島で、そこでは約二〇〇〇人の住人が暮らしている。この島には大きな特徴がある。それは、人々が島にやってきた経緯を覚えていないこと。アマゾンの配送サービスは届くのに、グーグルマップには表示されない場所であること。そして、みなが「捨てられた人」である、ということだ。島で暮らす高校生、七草は数ヶ月前にここにやってきて以来、不穏ながらも平和でのどかな生活を気に入っていたが、かつての同級生・真辺由宇との再会をきっかけに、階段島の謎に迫っていく。
 捨てられた人? それはどういう意味だろう。現代において人が「捨てられる」なんてことが、あるのだろうか。はじめてこのシリーズに触れる読者は、独特の設定に驚くかもしれない。実は私も、そうだった。だが、ほんの数ページ、河野さんの文章に触れれば、そんな違和感は消えてなくなり、この世界にぐっと惹きこまれる。個性的なキャラクター。島の謎に迫るスリリングな展開。右を見ても左を見ても、わくわくするばかりだ。そんな魅力の尽きない階段島シリーズにおいて、私が何より惹かれるのは、河野さんの言葉である。
 冒頭の引用は、第二作『その白さえ噓だとしても』からだが、もちろん本作にも、魅力的な文章や言い回しがたくさん登場する。特に私の心を抉ったのが、以下の文章だ。

 役割を忘れて話ができるのが友達だと思う。

 私事だが、ちょうどこの小説を読んでいるとき、私は「友達」の定義について、悩んでいた。友人に「加恋の友達のラインはどこからなの」と聞かれ、うーん、と考え込んでしまったのだ。でも、この文章を読んで、そうか、と思い、河野さんの言葉をそのまま友人に伝えた。そんな風にして、私は小説に、小説の言葉に、助けられている。中でも階段島シリーズは、刺さる言葉が本当に多く、あれもこれも、メモしてしまう。
 人は何を捨てて、階段島にやってきたのか。その謎の解明については第一作『いなくなれ、群青』を読んでもらわねばならない。この島を統べる人物は誰なのか。こちらの謎は、第二作『その白さえ噓だとしても』で明らかになる。
 そして、第三作となる本作では、階段島から舞台を移し、私たちの「現実」に近い場所で物語が進んでいく。本作をもっとも特徴づけるのは、新キャラクターの少女、安達だ。彼女は、怖い。何を考えているのか、まったくわからない。本人は「気安い友達、の二文字目と五文字目で、安達」などと自己紹介しているが、ちっとも気安い感じがしない。このシリーズにおいて、私が初めて「怖い」と感じた人間だ。ミステリアスで、常に主人公の裏をかく少女は、階段島に波乱を運んでくる気がしてならない。
 安達の真意はどこにあるのか。七草と真辺はどうなるのか。今後、階段島で何が起こるのか。作品を重ねるごとに謎は増え、シリーズの魅力も増していく。一度読み出したら、まず止まらない。未読の方には『いなくなれ、群青』を、一作目を読んだ方には二作目を、そして二作を読んでいるのなら、絶対にこの三作目『汚れた赤を恋と呼ぶんだ』を薦めたい。私のように言葉に惹かれるもよし、階段島の設定にやられるもよし、七草と真辺の未来にヤキモキするもよし。とにかく、心から、読んでほしい、と思う。ハマりますよ?

(みやま・かれん 女優)
河野裕『汚れた赤を恋と呼ぶんだ

 二〇一四年九月、「キャラクター」と「物語」の融合を謳って、新潮文庫nexの刊行が開始された。しかし、それが魅力的な作品を多数産み出していることは確かにせよ、具体的な理念はまだ読者に伝わっていないように思われる。ライトノベルでも純文学でもないが、「キャラクター」を軸に据えた小説。これだけではイメージを作ることは難しいかもしれない。けれど、すでに刊行された作品の中に、「キャラクター」の吸引力をまざまざと見せつけてくるものが存在する。それが竹宮ゆゆこによる『知らない映画のサントラを聴く』である。
 彼女はこれまでもライトノベルの領域で、『とらドラ!』や『ゴールデンタイム』といった作品において文体へのこだわりを見せてきたが、その姿勢は本書において一層強調される。頻出する固有名詞、体言止めの多さ、若者言葉の導入......こうした異物の混入によって、竹宮の文章はオリジナリティを獲得していく。「数日前からの風邪をこじらせ、下痢と嘔吐が上下にマーライオン」といった表現は、一読してすんなり入ってくるものではないだろう。けれど、このような表現が独特のリズムを刻むからこそ、読者は登場人物に対して通常の読書とは異なる種類の関心を持つようになるのだ。
 本書は贖罪の物語である。主人公の錦戸枇杷は、大学卒業後、無職のまま自宅に引き籠もっている二十三歳の女性だ。彼女はジャージのままビールを飲むだけの生活を送っていたが、ある日セーラー服を着た強盗に襲われ、親友である清瀬朝野の写真を奪われたことで、それを取り戻すという目的を持つようになる。しかしその直後、自立を促そうとする家族たちの計略によって、枇杷は実家を追い出されてしまう。彼女は途方に暮れるが、不幸中の幸いと言うべきか、その日のうちに件の強盗を捕まえることに成功する。ところが、犯人の正体は、朝野の元恋人・森田昴だった。昴は枇杷に対して謝罪をした後、帰るところがないなら自分の家に来ないかと提案し、結果的に彼らは同居を始めることになる。
 枇杷と昴を結んでいるものは、朝野に対する強烈なまでの罪悪感だ。朝野は一年前に伊豆の浜辺で亡くなっており、それが自殺であることを匂わせる描写も数多く挿入されている。枇杷は最後に朝野と会った際、「破壊神」に狙われているという相談を一笑に付してしまった。昴の方は、破局後も気持ちは朝野に向いていたにもかかわらず、あてつけのようにして他の女性と交際していた。つまるところ、枇杷と昴はそれぞれ、自身の行動が朝野を死に追いやったという感覚を拭えずにいるのである。だからこそ、枇杷は職に就くような気力を持てずにいるし、昴はマッサージ師として働きながらも心のどこかで自らの死を望んでしまっている。
 しかし、こうした重い設定にもかかわらず、本作は読者に対して陰鬱な印象を与えてはこない。それどころか、枇杷と昴のやり取りは出来のよい掛け合い漫才のようで、言葉の端々にお互いが親密さを感じている様子が窺える。昴が強盗まがいの行為を働いたのは朝野の写真を手に入れるためであり、セーラー服を着ているのも、自分が朝野となることで彼女をこの世界に生かし続けたいと考えているからだ。それは確かに滑稽に映るかもしれないが、裏を返せば、彼が朝野の存在とその死を強く引きずっていることの証明でもある。それが分かるからこそ、枇杷と昴は互いの朝野に対する愛を尊重し合う同志のような距離で接することになる。
 彼らは共に時間を過ごした先で、罪の意識を原因とした停滞から抜け出すことに成功する。伊豆で働き始めた枇杷を一年後に昴が迎えに行くという結末は、ご都合主義に見えるかもしれないし、少なくともそこにある愛情が虚構めいたものになることは避けられないだろう。けれど、その上で彼らの再会がたまらなく愛しく思えてしまうのは、作者が「キャラクター」を作ることに成功しているからである。「キャラクター」を産むというのは、ある登場人物の虚構性を強調しながら、同時に現実との距離を測り、読者の感情移入を誘う行為に他ならない。枇杷と昴という二人の「キャラクター」が朝野の喪失を超えて辿り着いた関係性は、枠組みとして名前を与える間でもなく、いつまでも回転を続けていく美しいものとして映るはずだ。
 その意味で本書は、まさに優れた「キャラクター小説」なのであり、現実にも幻想にも縛られない自由な領域へ文学を拡張する意志を備えた作品として、我々の前に提示されているのだ。

さかがみ・しゅうせい 作家、文芸評論家

 新潮文庫から、創刊百年を期してスタートするニュー・スタイル、新潮文庫nex。ネックスといってもペプシコーラと提携するわけじゃなく、新潮文庫の次世代ラインナップ......ということらしい。
 新潮文庫なのに三方断ちのスピン(しおり紐)なし、全点PP貼りと聞いて驚いたんですが、そのぐらいしないと鳴り物入りで新たにカテゴリーを立ち上げる意味がないか。ライトノベル畑の人気作家が数多く参加しているが、ライトノベル専門というわけでもない。文芸書(四六判単行本)を中心とする小説の出版モデルはすでに崩壊しかけているので、若い読者にアピールする文庫オリジナル作品の新しい容れものをつくるという発想は正しい。
 第一回配本は、「彩雲国物語」シリーズの雪乃紗衣による新シリーズ第一弾『レアリアI』、『とらドラ』の竹宮ゆゆこのラブストーリー『知らない映画のサントラを聴く』、「心霊探偵八雲」シリーズの神永学『革命のリベリオン―第I部 いつわりの世界―』など、超強力な(なるほどそう来たかと納得のいく)ラインナップ。
 その中でも、nexを象徴する一冊としてフィーチャーされているのが、河野裕の青春小説『いなくなれ、群青』。著者は、能力者が集まる街を舞台にした「サクラダリセット」シリーズや、元編集者の探偵と小説家のコンビが神戸のカフェで推理を展開する「つれづれ、北野坂探偵舎」シリーズで知られるライトノベル/ライトミステリーの作家。本書も一種の学園ミステリーに分類できなくもないが、ライトノベル的な設定にもかかわらず、いまどき珍しいほどまっすぐな、胸に迫るラブストーリーだ。
 小説の舞台は、階段島と呼ばれる奇妙な島。あるとき、この島で目を覚ました語り手の"僕"こと七草は、先輩の住人からこんなふうに説明される。
「ここは、捨てられた人たちの島です。この島を出るには、七草くんが失くしたものを、みつけなければいけません」
 島は孤立していて、島外に出ることはもちろん、外部と連絡をとることもできないが、生活に必要な物資は船で運ばれてくるし、電気ガス水道などのインフラも整っている。ネットにもつながる(ただしメールは出せないし掲示板に投稿もできない)。この極度に人工的な設定の(常識的にはありえない)島で、物語は始まる。
 この島で暮らしはじめて三カ月ほどが過ぎた一一月一九日の朝、"僕"は思いがけない人物と出会う。真辺由宇。
 七草と由宇は同じ小学校に通い、中学二年生の夏に彼女が転校してしまうまで、毎日のように一緒に過ごした。七草は根っからの悲観主義者で、いつも失敗することばかり考えているが、由宇はその正反対。あんなに輝いていた彼女が、いったいだれに捨てられて、なぜこの島にやってきたのか?
 やがて、島の学校に謎の落書きが出現する。ピストルと星のマーク。"僕"が思い出すのは、一九九〇年代初め、ハッブル望遠鏡によって発見された(実在の)超巨星、ピストルスターのこと。拳銃に似たかたちのピストル星雲に位置するため、こう名づけられた。観測範囲内の宇宙では一、二を争う明るさの星だが、地球からはよく見えない。
〈ピストルスターはひっそりと、でも強く、気高く輝いている。僕はピストルスターの輝きを愛している。たとえその光が、僕の暗闇を照らさなかったとしても。〉
 奇妙な落書き事件にまつわる謎と、この島の成り立ちに関わる謎。そして、"僕"と真辺由宇との関係。"失くしたもの"とはなんなのか? 本来この島にはいないはずの幼い少年を助けたことから、ふたりの関係は新たな局面を迎える。
 すべての謎が解け、階段島の不自然なありようの意味がついに明らかになったとき、"僕"の選択が読者の胸を打つ。ありえない設定でなければ書けない、ありえないほど純粋で一途な恋愛。若い読者にとっては、きっと、忘れられない本になるだろう。

おおもり・のぞみ 書評家